国道(酷道)308号、暗峠(くらがりとうげ)越えならず

秋の散策にと国道308号を選び、大阪と奈良の境にある生駒山中の暗峠(くらがりとうげ)越えをめざしたが、残念ながら途中で挫折。峠越えはまたの機会となった。

国道308号は大阪の中央区四ツ橋から奈良の中央を結ぶ国道であるが、途中大阪の「石切神社」から奈良の「尼ケ辻」(あまがつじ)付近までは道幅が狭く道路整備も充分でなく、生駒山中の暗峠付近の上り坂は日本一といわれる急こう配(斜度17度以上)があり、車はもちろん単車も乗り入れが困難な場所もある、正に酷道(ひどい道)である。テレビ等で報道され有名になり、訪れる人も増えたが、大変な悪路であることに違いはなく、ハイキングコースとして使われる事や、近傍住民の生活道路として利用されている。どのような道か、チャレンジ精神で臨んだ。

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京都から近鉄で「尼ケ辻」駅まで乗車、二度と来ないであろう駅を降りた。国道であるとの道路標識はなく、普通の生活道路ような所を淡々と歩き始めた。途中に店や寺などがあり、属にいう田舎町の風景であった。しばらくいくと分かれ道の信号に出くわし、そこの道路表示版でやっと国道308号の文字が。しかし分かれ道の方が広く、どちらが国道かと思うほど。しばらくいくと「砂茶屋」交差点に道路表示版があり、細い道が国道で、広い道が県道との表示。それを進むと初めて泥だらけで、表示が良く見えない国道308号の道路標識がぽつんと立っていた。さらに進むと両側に田んぼが拡がり舗装された農道のような道に、ここを進んでよいのかの錯覚も。さらに進むとやや道の勾配が強まり、歩みが遅くなりしばし休憩を。少し元気になって歩み始めるとアップダウンの強い所、長い勾配のある登り坂が続き、また歩みが鈍る。

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ようやく峠(?)を越えたと思われる所で分かれ道に出たが、道路標示は全くなく右か左か。聞く人もおらず迷った挙句、車が良く通る方の道を選んで進むと山小屋のようなのものがあった。少し休憩してそこの管理人に聞くと、国道は逆方向であることが分かり迷い込んだ事に気づく。キャンプ場が近くにあるのでそちらに行く車が多かっただけみたい。気を取り直して元に戻り違う道を進むと、軽自動車同志でもすれ違いが困難で急な坂の連続。車が通ると人は止まって譲らないと通れない所もあり、竹林・雑木林が続き、昼間でも薄暗い所があり、道の愛称「暗越(くらがりごえ)奈良街道」の由来がわかりそうな気もする。途中国道308号の表示ではないが、目的場所への経由地近鉄「南生駒」駅へは右にとの矢印がある表示版があった。

 

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いけどもいけどもそのような道に出くわさず、急に開けた道に抜け出した。さあこれからどうゆけばよいか不安に成るが、道路表示はなく聞く人もいない。とりあえず己の信じる道をと歩みを進めた。また信号があり、これまでの常識では狭い道や怪しい道が国道と、広い道を突っ切り狭い道に歩み進める。家が密集しだしてさらに細い道となり、わらをもつかむ心境で通りすがりの親子連れに道を聞いた。「国道308号はよく分からないが、『南生駒』駅ならわかる。しかしこの道ではだめで、かなり大回りしなければならない。途中まで案内する」との話。助かったとの思いが拡がり、感謝の言葉を伝えて「南生駒」の駅を目指した。12時をはるかに回り、体力も限界、足の指が痛むもの、ふくらはぎが張るものがあり、昼食休憩に。昼食後目の前に拡がる生駒山系をみて、これ以上きつい道を歩むのはどうかと思案したが、年齢と体力を考え今回はここで断念することに。酷道(国道)とは道の悪さ(せまい、整備がいまいち、急こう配)だけでなく案内も少なく、道分かれ部分に表示が全くない、本当に酷(ひど)い道であった。「南生駒」駅から電車に乗ろうとした時、なぜかその近くに国道308号の道路標識があり、おまけに一方通行の表示も。しかもその脇になんと「百人一首」にでてくる竜田川が流れており、古の奈良の都にきたとの実感も。次回には必ず暗峠を越えてリベンジする思いを乗せて、帰路についた。

 

8(京都の向GIE)