我が家の頼れるパートナー

 心臓病児を育てるようになった我が家になくてはならない存在。それは車です。酸素ボンベと繋がっている娘は、通院、通園、通学、移動手段はほぼ車。娘の運転手を務める母親の私は学生時代に免許を取って、○十数年のドライバーです。

 病児出産まで大阪の診療所で働いていた十数年間、業務でよく車を使いました。入職したてで道がよくわからない頃、まだ経験の浅いドライバーの私は、地図で下調べをして(当時はスマホの地図アプリどころかカーナビもなし。もちろん携帯は二つ折りですらない時代です)緊張で汗ばむ手でハンドルを握り訪問先へ荷物を運び、無事役割を果たしたと安堵したのも束の間。はたと気づくと通ってきたのは一方通行の道・・・!帰り方がわからず、訪問先の職員さんに懇切丁寧に地図で説明してもらって必死で帰ったり。入院援助で病院へ患者さんをお連れしたものの、狭路が曲がり切れず立ち往生。タイヤがすり減るんちゃうか?というくらい切り返しまくって脱出したり。阪神高速の出口を間違えて環状線一周したことも・・・思えばいろいろやらかしました。開いた地図を助手席に置き、冷や汗かきつつ必要に迫られて車を使ったおかげでペーパードライバーにはなりませんでした。

 6年前、産休に入る頃。新しい家族を迎えるにあたって、家の車を買い替えました。スライドドアを備えた、少し大きめのワンボックス。試乗した時、当時小1の長男が気に入ったのが決めてでした。出産直後に第2子の心臓病が判明。産院から大学病院に直接救急搬送されてNICUに入院、手術。数か月後、ピカピカの新車に乗って娘は初めて家に帰ってきたのでした。何度も入退院をする中で、折り畳みベッドや引越し並みの大荷物を運び、急な入院に備えての荷物を積んだまま毎月の大学病院への通院し、もちろん体調急変の際は病院へ走り、ずっと大活躍の我が家の車。我慢してもらうことが多い、息子の少年野球時代には、丸刈り男子満載で試合会場や合宿に車を出して走りました。(この日ばかりは、娘は夫に丸投げです) 病児優先の生活で、最低限のお茶当番しかできなかった私ですが、運転ができた事で少しはチームに貢献でき、息子のために動けてとても嬉しかったですし、親子の大切な思い出になっています。

 今日も今日とてハンドルを握り、娘を小学校へ送迎します。我が家は旅行など遠出は一切しませんが、息子の中学野球の応援の時や、守る会の行事の際など、少し離れたところへ行く時、今はスマホの地図アプリを使います。渋滞情報が反映されるので愛用しています。夫も運転しますが、普段家族のケアをする私が運転できなかったら一体どうなっていたんだろう・・・と週に1回くらい思います。車は使いこなせば便利なパートナー、本当に頼れる存在です。最近は若者の車離れ、といいますが、ちょっと無理しても免許は取って。そして安全に運転できるスキルもあった方がええよ。息子と娘にはそう伝えようかな。その頃には「自動運転」が一般的になっているのかもしれませんが・・・。
 

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