今思うこととこれから

今年27歳になる娘は1999年にAPC型フォンタン術をしています。術後は服薬を続けながら潜水やマラソン禁止はありましたが、ほぼ健康な子と同様の学校生活をしてきました。

小5の時、不整脈が増えBNP値が100を越えた時がありTCPC転換の話が出ました。なので、中学入学前に転換をする選択もありましたが、当時症例は多くなく、現状より悪くなることを考えたら、なかなか決断できずにいました。

そこで、まず不整脈に対するアブレーションを小6の夏にしました。その後、ワーファリンを開始することになり、不整脈も落ち着き、BNP値も100を越えることなく経過してきました。中高では吹奏楽部でパーカッションを担当していました。演奏会場には楽器運搬車に乗れるよう配慮していただいたこともありました。高校大学では、集団の活動が義務教育より少なくなったので楽になったかと思います。

大学の就活センターの障害者採用枠はほとんど機能しておらず、ネットの専用サイトから自力で現在の会社を希望し採用となりました。デスクワークでしたが、1時間位の通勤、慣れない仕事や残業に疲弊していたところにコロナで在宅ワークにシフトしました。元々全社的に事務方は在宅に移行することが決まっており、コロナ禍で一気に加速しました。在宅とはいえ、残業時間は増え続け、疲れが溜まるようになって上司に相談し、産業医面談となりました。面談の結果、残業時間の制限をしてもらえるようになり、随分と楽になったようです。

5年目の娘のあとの新卒採用はなく、組織改革が進み仕事は増えるばかりのようです。そんな中でも理解のある上司や同僚に恵まれ仕事を続けられています。そして今年の6月に会社の同期と入籍し関東に住居を移しました。自分で調べてなるべく制度が整った自治体を選んだようです。親としては自分の体にリスクを課すことはないと思うのですが、次は妊活を考えているようです。

フォンタンを受けた病院に戻り、しばらくは経過を見ながら評価カテーテルをすることになるでしょう。アブレーション以来のカテになります。翻って、あの時転換手術をした方が良かったのかと考えてしまうこの頃です。(右室性単心室)

ひまわり